2023年06月21日 14:11
第一 聖書及び聖伝に含蓄する基督天啓教の真理を分て二種と為す。一は乃ち真理にして信仰の知を以て会得すべき者。二は乃ち行為の真理にして意旨を以て了解し、以て生活上に実施すべき者なり。
教の真理は亦之を小分して二段と為す。一は乃ち神と人との間の結合を恢復したる基督教の本義に関する者にして、神のことと神が世界に対するの関係、就中其の人に対するの関係を教へて、人が救を得んが為には、何事を如何に信ずべきか、とのことを指定する故に、此の真理は我らに取りて教の唯々黙従すべき万世不易の規箴たる者なり。
又、二は直接に基督教の本義に関せるざる者にして、或いは旧新約教会の諸般の事蹟、及び人々のことに関する史上の記事、或いは基督教の本義に関係せざる預言者、使徒の如き、諸聖人の私説(救主基督の言にして、尚且つ此の類の者あり。例へばイオアン1:42、同47,4:50,5:8の如き)、或いは諸民諸邑の命運に関する預言者等、皆之に属す。此等の事たる天啓の書に載するを以て、全く吾人の信を置くに足るべきは固より論を俟たざれども、吾人の救贖の為に必要欠くべからざる者として示めさるる者に在らざるなり。
行為の真理も亦之を小分して二段と為す。
一は乃ち神と新たに結合を為したる徳義心を具ふるの人間は、まさに何事を行ふべきか、とのことを指定し、真に基督教脩身の誡命たる者にして、二は乃ち「ハリスティアニン」が、奉神礼に於いて如何に己の神に対するの関係を顕すべきか、「ハリスティアニン」は神の家に在って如何に行ふべきか(ティモフェイ前3:15)とのことを示す者にして、乃ち儀式律例的の真理なり。
定理は、此の如く四段に区分せらるる基督教の真理の間に在って首位を占め、其の第一段に含有す。
第二 基督正教定理とは、神が吾人に啓示し、正教会受けて世に伝ひ、基督教の本義に関する教の真理にして、神のことならびに神が世界及び人間に対するの関係を教示する者なり。此の真理は吾人の救の為に必要欠くべからざる者なるを以て、吾人の唯々黙従すべき万世不易の真理なり。此の解に従へば、基督正教定理は各左の如き性質を具ふるを知るべし。
第一 定理の略述、若しくは信経なり。蓋し教会は之を以て吾人の救贖の為に必要欠くべからずとする神のことと、神が世界及び人間に対するの関係を教示する真理のみを吾人に伝ふればなり。
第二 正教会が啓蒙書に於いて此の信経に付するの解明なり。
次章
教の真理は亦之を小分して二段と為す。一は乃ち神と人との間の結合を恢復したる基督教の本義に関する者にして、神のことと神が世界に対するの関係、就中其の人に対するの関係を教へて、人が救を得んが為には、何事を如何に信ずべきか、とのことを指定する故に、此の真理は我らに取りて教の唯々黙従すべき万世不易の規箴たる者なり。
又、二は直接に基督教の本義に関せるざる者にして、或いは旧新約教会の諸般の事蹟、及び人々のことに関する史上の記事、或いは基督教の本義に関係せざる預言者、使徒の如き、諸聖人の私説(救主基督の言にして、尚且つ此の類の者あり。例へばイオアン1:42、同47,4:50,5:8の如き)、或いは諸民諸邑の命運に関する預言者等、皆之に属す。此等の事たる天啓の書に載するを以て、全く吾人の信を置くに足るべきは固より論を俟たざれども、吾人の救贖の為に必要欠くべからざる者として示めさるる者に在らざるなり。
行為の真理も亦之を小分して二段と為す。
一は乃ち神と新たに結合を為したる徳義心を具ふるの人間は、まさに何事を行ふべきか、とのことを指定し、真に基督教脩身の誡命たる者にして、二は乃ち「ハリスティアニン」が、奉神礼に於いて如何に己の神に対するの関係を顕すべきか、「ハリスティアニン」は神の家に在って如何に行ふべきか(ティモフェイ前3:15)とのことを示す者にして、乃ち儀式律例的の真理なり。
定理は、此の如く四段に区分せらるる基督教の真理の間に在って首位を占め、其の第一段に含有す。
第二 基督正教定理とは、神が吾人に啓示し、正教会受けて世に伝ひ、基督教の本義に関する教の真理にして、神のことならびに神が世界及び人間に対するの関係を教示する者なり。此の真理は吾人の救の為に必要欠くべからざる者なるを以て、吾人の唯々黙従すべき万世不易の真理なり。此の解に従へば、基督正教定理は各左の如き性質を具ふるを知るべし。
[一] | 右定理は基督教の者なるを以て、神の吾人に啓示したるの真理たり。故に必ず神の啓示に含む者なり。教会の諸父は此の意を以て基督教の定理を神の定理、或いは基督の定理、或いは福音の定理、或いは使徒の定理と称し、以ては一は他の諸宗教の定理、概して非基督教の教理と区別し、又一は基督教に属すと雖も神の啓示中に含まざるの真理、乃ち教会の奉神礼及び規律などに関する諸種の真理と区別す。 |
[二] | 右定理は正教の者なるを以て、必ず真に公教会と称すべき正教会の保存して吾人に伝ふるの真理なり。蓋し信者ならびに個々の教会は各、或いは挙りて迷謬に陥るの恐れあれども、正教会は恒に聖神の導きを得るを以て独り誤ることなく天啓の真理を議定解明するを得るなり。諸聖父は此の意を以て基督教の定理を教会の定理、或いは正教の定理、或いは健全の定理、或いは敬虔の定理と称し、以て一は彼の基督正公教会より分離せし個々の教会、或いは国、或いは人々の挌守する不正教定理、懐傷せられたるの定理、岐教徒の定理と区別し、又一は正教信徒が各直接に啓示に基づきて立つるの私説と区別す。蓋し此の私説たる、たとひ全く真理に合ふ者たるも、教会之を保存し衆人に之を宣伝せざるを以て、到底一個の私説たるを免れさるなり。 |
[三] | 又右は定理なるを以て基督教の本義に属し、吾人の救贖の為に必要欠くべからざるの真理にして、即ち神のことと、神が世界及び人間に対するの関係を教示する者なり。正教会が実に定理に此の特殊の性質を付し、以て他の基督天啓教の真理と区別するを証するものは、 |
第二 正教会が啓蒙書に於いて此の信経に付するの解明なり。
[四] | 右は、基督教の者たり、正教の者たり、且つ定理たるを以て正教を奉ずるの衆「ハリスティアニン」が皆完全純潔に挌守、何人たりとも之を排斥し、若しくは変改するの権利なき争ふべからざる万世不易の真理なり。何となれば、定理なる者は神自ら吾人に啓示し、神立不可謬の師たる教会の人々に伝ふる所の者にして、吾人の救贖の為に必要欠くべからざるの教を含むを以てなり。定理は此の如き性質を具ふるを以て凡そ教会の定理に属する者を排斥し、若しくは懐傷する者は此に由って自ら正教信徒たる「ハリスティアニン」の社会を離れ、救贖を得るの望みを失ふなり。聖使徒曰く、「或いは我等にせよ、或いは天よりの使者にせよ、我が曾て爾等に伝ふる所に異なるの福音を以て爾に伝ふる者あらば則ち詛はるべし」と(ガラティヤ1:8)。第六全地公会の諸父も使徒に次いで謂ひて曰く『凡そ敬虔の定理を挌守せず、之を承認せず、此の如く思惟せず、宣伝せずして、之に敵せんと試むる者は「アナフェマ」に付せられ、且つ「ハリスティアニン」の社会より親与を絶たれ除逐せらるべし』と(同公会規則第一條)。 |